建設業未経験ですが訓練に参加できますか?
大丈夫です。訓練の参加者は建設業未経験者がほとんどです。訓練では、建設業で実際に働いているベテランの職人さんたちが親身になって指導します。未経験だからこそ仕事に真っ直ぐに向き合い成長
あまり人に言いたい事も言えない、内気な少年でした。小学生のときは、今の自分から想像ができないほど太っていて、運動がとにかく嫌いでした(笑)。
中学生になると、兄の影響でサーフィンを始めるようになりました。自宅の足立区から湘南まで電車で2時間以上かけて通って練習し、上達してくると、兄が車で海に連れて行ってくれるようになりました。上手に波に乗れたときの快感がとにかく気持ち良くて、ますますサーフィンに熱中していきました。
TURNING POINT!
自宅の近くに父の経営する鉄骨工場があり、小さい頃から、よく遊びに行っていました。父の働いている姿や、鉄骨を溶接するときの鉄の匂い、工場の雰囲気がとてもカッコよく感じ、次第に父の仕事に憧れをもつようになりました。中学3年生の進路を決める際には、ものづくりに関わる仕事をしたいと考えていたため、迷うことなく工業高校に進学しました。
入社1年目の頃は、先輩の指示で手元(補助)作業ばかりでしたが、他の人より早くとか、負けないようにと意識してやっていました。また、分からないことがあれば、先輩や上司に教えてもらうよう心がけました。この頃から、目標は現場の工程管理・施工管理・安全管理を行い職人をまとめる「職長」になることだったので、職長の動きもよく見ていました。
2年目になると、先輩の指示で動くだけではなく自分で考えて行う作業が増えてきました。印象に残っているのが、大きな構造物を建てる現場です。地下階があったのですが、「逆打ち工法」と呼ばれる、通常の工法とは逆に1階の床を施工してから、地下1階、地下2階と逆の順番に造っていく工法で作業しました。地下への荷降ろしのため、多いときは3台のクレーンを使い、何度も玉掛け作業(吊り荷をクレーンのフックにワイヤーロープを使って掛けたり外したり、吊り荷を降ろす場所の合図動作等)を行いました。多くの職人さんと一緒に作業することで、どうすれば効率的に次の作業が行えるかを考えるようになりました。
働き始めて4、5年経ち、色々な鉄筋工の職長の下で仕事をしていると、優秀な職長ほど、鳶工や型枠工など他職種の職長とコミュニケーションを密に図りながら、それぞれが使用する機械や場所の調整をし、作業がうまくいくように段取りをとってくれているので、とても作業がしやすいことに気づきました。
職長は、元請けが用意する図面を、鉄筋工が作業しやすいようにより詳細な図面に書き出し職人へ渡します。詳細な図面のみを見れば作業はできるのですが、2つの図面を見比べることで、職長がどのような意図で書いたのかが分かるようになってきました。時には自分だったらこうやって書くなと考えながら、いつ職長を任されても良いように準備をしていました。
結束の確認
先輩が職長として入っていた現場で一緒に働いていたのですが、先輩が急遽別の現場に行くこととなり、私が職長を引き継ぐことになりました。その現場では、固定で8人の職人がいました。もちろん歳上の職人さんもいます。不安もいっぱいありましたが、職長になるのは夢でもあり、そのための準備もしてきたので「やってみよう!」という強い気持ちで一歩を踏み出しました。
とにかく一緒に働いてる人たちに怪我をさせないことをいつも念頭に置いていました。つまづく事もいっぱいありましたが、コミュニケーションを取りながら、分からないことは聞いて話して解決するなど、精一杯やりきりました。
今後の目標
安全第一が最優先、その次に一緒にやっているメンバーが気持ち良く仕事ができるようにと意識しています。厳しく指示や指導をする事もありますが、コミュニケーションを大事にして、なんでも言い合えるような環境を目指しています。
円陣組んで、安全確認!
超充実!ワークライフバランス
今は、仕事もプライベートも充実している毎日です。中学から始めたサーフィンがきっかけで、妻とも出会い、結婚して海の近くに移住しました。現場が都内のときは通勤が大変ですが、週末はサーフィンをしたり、家族でゆっくり過ごしています。
父とは、一緒にお酒も飲むようになりました。同じ業種ですので、相談やアドバイスを受けるなど、仕事の話ができるのが、父にとっても私にとっても嬉しいですね。
サーフィンの大会に出場する腕前
この仕事を目指す方へメッセージ
どんな仕事も、大変だと思いますが、興味があるなら、まずは3年続けてください。
自分は、その覚悟で辛いことも苦しいことも乗り越え、建物ができあがる達成感を得ることができました。
あまり人に言いたい事も言えない、内気な少年でした。小学生のときは、今の自分から想像ができないほど太っていて、運動がとにかく嫌いでした(笑)。
中学生になると、兄の影響でサーフィンを始めるようになりました。自宅の足立区から湘南まで電車で2時間以上かけて通って練習し、上達してくると、兄が車で海に連れて行ってくれるようになりました。上手に波に乗れたときの快感がとにかく気持ち良くて、ますますサーフィンに熱中していきました。
TURNING POINT!
自宅の近くに父の経営する鉄骨工場があり、小さい頃から、よく遊びに行っていました。父の働いている姿や、鉄骨を溶接するときの鉄の匂い、工場の雰囲気がとてもカッコよく感じ、次第に父の仕事に憧れをもつようになりました。中学3年生の進路を決める際には、ものづくりに関わる仕事をしたいと考えていたため、迷うことなく工業高校に進学しました。
入社1年目の頃は、先輩の指示で手元(補助)作業ばかりでしたが、他の人より早くとか、負けないようにと意識してやっていました。また、分からないことがあれば、先輩や上司に教えてもらうよう心がけました。この頃から、目標は現場の工程管理・施工管理・安全管理を行い職人をまとめる「職長」になることだったので、職長の動きもよく見ていました。
2年目になると、先輩の指示で動くだけではなく自分で考えて行う作業が増えてきました。印象に残っているのが、大きな構造物を建てる現場です。地下階があったのですが、「逆打ち工法」と呼ばれる、通常の工法とは逆に1階の床を施工してから、地下1階、地下2階と逆の順番に造っていく工法で作業しました。地下への荷降ろしのため、多いときは3台のクレーンを使い、何度も玉掛け作業(吊り荷をクレーンのフックにワイヤーロープを使って掛けたり外したり、吊り荷を降ろす場所の合図動作等)を行いました。多くの職人さんと一緒に作業することで、どうすれば効率的に次の作業が行えるかを考えるようになりました。
働き始めて4、5年経ち、色々な鉄筋工の職長の下で仕事をしていると、優秀な職長ほど、鳶工や型枠工など他職種の職長とコミュニケーションを密に図りながら、それぞれが使用する機械や場所の調整をし、作業がうまくいくように段取りをとってくれているので、とても作業がしやすいことに気づきました。
職長は、元請けが用意する図面を、鉄筋工が作業しやすいようにより詳細な図面に書き出し職人へ渡します。詳細な図面のみを見れば作業はできるのですが、2つの図面を見比べることで、職長がどのような意図で書いたのかが分かるようになってきました。時には自分だったらこうやって書くなと考えながら、いつ職長を任されても良いように準備をしていました。
先輩が職長として入っていた現場で一緒に働いていたのですが、先輩が急遽別の現場に行くこととなり、私が職長を引き継ぐことになりました。その現場では、固定で8人の職人がいました。もちろん歳上の職人さんもいます。不安もいっぱいありましたが、職長になるのは夢でもあり、そのための準備もしてきたので「やってみよう!」という強い気持ちで一歩を踏み出しました。
とにかく一緒に働いてる人たちに怪我をさせないことをいつも念頭に置いていました。つまづく事もいっぱいありましたが、コミュニケーションを取りながら、分からないことは聞いて話して解決するなど、精一杯やりきりました。
今後の目標
安全第一が最優先、その次に一緒にやっているメンバーが気持ち良く仕事ができるようにと意識しています。厳しく指示や指導をする事もありますが、コミュニケーションを大事にして、なんでも言い合えるような環境を目指しています。
超充実!ワークライフバランス
6歳の息子と4歳の娘がいます。段取りがうまくいくと仕事がスムーズに終わるので18時半頃には帰宅できていますね。妻も仕事しているので、夕飯は自分が作っています。子供たちに、たくさんご飯を食べてもらえるように色々と考えるのも楽しみの一つです。
この仕事を目指す方へメッセージ
どんな仕事も、大変だと思いますが、興味があるなら、まずは3年続けてください。
自分は、その覚悟で辛いことも苦しいことも乗り越え、建物ができあがる達成感を得ることができました。