建設業未経験ですが訓練に参加できますか?
大丈夫です。訓練の参加者は建設業未経験者がほとんどです。訓練では、建設業で実際に働いているベテランの職人さんたちが親身になって指導します。未経験だからこそ仕事に真っ直ぐに向き合い成長
2〜3歳の頃は、工具用のドライバーを持って、家中のネジというネジを外して遊んでいたそうで、ものを分解したりするのが好きだったようです(笑)
家では多くの動物を飼っていたので、当時は獣医さんになりたいと思っていました。
工業高校の建築科に進学し、課題やレポートを多くこなす忙しい高校時代でした。部活は、バンドを組んでたので、軽音部に入っていました。パートはドラムを担当、月1回はライブをやっていました。
当時は、ミュージシャンという夢もあり、色々と悩みましたが、尊敬する父が、設備関係の仕事をしていたこともあり、建設業への道を歩もうと決心しました。
ライブ活動の様子
高校2年生の夏、就職先の福井建設にインターンシップとして参加しました。安全帯とヘルメットを支給してもらい、とび2級の試験内容を体験したり、3日間という短い期間でしたが、就職する決め手となるには十分な体験でした。
新入社員
入社当初は、鳶の仕事をメインにしていました。最初は材料運びなどの雑用をこなしながら、少しずつ仕事を覚えるのに一生懸命の毎日でした。また、道具や材料を覚えることに、苦労したという記憶があります。
それでも、自分なりにできる「掃除」「片付け」「整理整頓」は積極的にしていました。
仕事が鳶・土工、鉄筋、型枠と多岐にわたっていたので、この頃はまだ経験や仕事の精度が中途半端だったと思います。
それでも、少しずつ職長として現場を任されるようになり、自分自身で作業もしながら、職長としての仕ことをガムシャラに頑張りました。
また、職人さんより実績も経験も浅く、分からないことも多い僕が、職長であることが原因で起こるトラブルもあるように感じ、自分自身に苛立つ事も多かったです。そんなときは、上司や先輩たちに相談し、解決の糸口を探る等、失敗を繰り返しながらも経験値を積むことができました。
技能五輪出場!
21歳のときに、広島県代表選手として、茨城県で開催された「技能五輪全国大会」に出場しました。仕事が休みの日曜に練習に励みましたが、残念ながら結果は振るいませんでした。でも、代表選手として出場した経験は自信となっています。
TURNING POINT!
5年目には、少しずつですが、鳶・土工の現場を回せるようになってきました。
成長の大きなキッカケになったのが、この年に瀬戸内の島である大崎上島の火力発電所の現場(工期3年)を職長として任されたことでした。
この頃は、鳶・土工をメインで担当していたので、鉄筋工や型枠大工の職人さんに何か聞かれても、正直分からない状況で、プレッシャーばかりでした。
工事を進めるために、相手の言っていることや意味を理解する努力をしました。とにかくよく話を聞いて、何が原因でできないのか?何をしてもらいたいのか?などを、相手とよく話すことを心がけました。全部は理解できずとも、コミュニケーションを取り相手を理解することで、物事はうまく進めることができる事を学びました。
もう1つのターニングポイント
火力発電所の現場があと1年ぐらいのときに、幼稚園からの幼なじみだった妻と再会しました。この再会をキッカケに、3年ぐらいの交際期間を経て2017年4月に結婚。翌年には子供にも恵まれました。家庭を持ったことで「安全面」には今まで以上に気を配り注意するようになりました。それが仕事への品質にも繋がっていると思います。
今後の目標
より一層、現場をうまく回せるようにして、会社も自分も沢山稼げるようになりたいと思っています。それは、僕ら自身の頑張り次第だと考えています。
子供と妻のためにも、僕自身、元気にたくさん働こうと思います。
この仕事を目指す方へメッセージ
ガムシャラにやると見えてくるものが必ずあると思います。
楽だから、しんどくないから、で仕事を選ばずに、興味があるなら、とにかくやってみるというのが大事だと思う。
失敗してしまう怖さもあるかと思います。例えば、物が壊れてしまう失敗は、作り直せば良いですし、事故や怪我の失敗は、失敗しないように準備をしっかりすれば大丈夫です。
だから、臆せず是非チャレンジしてほしいです。
2〜3歳の頃は、工具用のドライバーを持って、家中のネジというネジを外して遊んでいたそうで、ものを分解したりするのが好きだったようです(笑)
家では多くの動物を飼っていたので、当時は獣医さんになりたいと思っていました。
工業高校の建築科に進学し、課題やレポートを多くこなす忙しい高校時代でした。部活は、バンドを組んでたので、軽音部に入っていました。パートはドラムを担当、月1回はライブをやっていました。
当時は、ミュージシャンという夢もあり、色々と悩みましたが、尊敬する父が、設備関係の仕事をしていたこともあり、建設業への道を歩もうと決心しました。
高校2年生の夏、就職先の福井建設にインターンシップとして参加しました。安全帯とヘルメットを支給してもらい、とび2級の試験内容を体験したり、3日間という短い期間でしたが、就職する決め手となるには十分な体験でした。
新入社員
入社当初は、鳶の仕事をメインにしていました。最初は材料運びなどの雑用をこなしながら、少しずつ仕事を覚えるのに一生懸命の毎日でした。また、道具や材料を覚えることに、苦労したという記憶があります。
それでも、自分なりにできる「掃除」「片付け」「整理整頓」は積極的にしていました。
仕事が鳶・土工、鉄筋、型枠と多岐にわたっていたので、この頃はまだ経験や仕事の精度が中途半端だったと思います。
それでも、少しずつ職長として現場を任されるようになり、自分自身で作業もしながら、職長としての仕ことをガムシャラに頑張りました。
また、職人さんより実績も経験も浅く、分からないことも多い僕が、職長であることが原因で起こるトラブルもあるように感じ、自分自身に苛立つ事も多かったです。そんなときは、上司や先輩たちに相談し、解決の糸口を探る等、失敗を繰り返しながらも経験値を積むことができました。
技能五輪出場!
21歳のときに、広島県代表選手として、茨城県で開催された「技能五輪全国大会」に出場しました。仕事が休みの日曜に練習に励みましたが、残念ながら結果は振るいませんでした。でも、代表選手として出場した経験は自信となっています。
TURNING POINT!
5年目には、少しずつですが、鳶・土工の現場を回せるようになってきました。
成長の大きなキッカケになったのが、この年に瀬戸内の島である大崎上島の火力発電所の現場(工期3年)を職長として任されたことでした。
この頃は、鳶・土工をメインで担当していたので、鉄筋工や型枠大工の職人さんに何か聞かれても、正直分からない状況で、プレッシャーばかりでした。
工事を進めるために、相手の言っていることや意味を理解する努力をしました。とにかくよく話を聞いて、何が原因でできないのか?何をしてもらいたいのか?などを、相手とよく話すことを心がけました。全部は理解できずとも、コミュニケーションを取り相手を理解することで、物事はうまく進めることができる事を学びました。
もう1つのターニングポイント
火力発電所の現場があと1年ぐらいのときに、幼稚園からの幼なじみだった妻と再会しました。この再会をキッカケに、3年ぐらいの交際期間を経て2017年4月に結婚。翌年には子供にも恵まれました。家庭を持ったことで「安全面」には今まで以上に気を配り注意するようになりました。それが仕事への品質にも繋がっていると思います。
今後の目標
より一層、現場をうまく回せるようにして、会社も自分も沢山稼げるようになりたいと思っています。それは、僕ら自身の頑張り次第だと考えています。
子供と妻のためにも、僕自身、元気にたくさん働こうと思います。
この仕事を目指す方へメッセージ
ガムシャラにやると見えてくるものが必ずあると思います。
楽だから、しんどくないから、で仕事を選ばずに、興味があるなら、とにかくやってみるというのが大事だと思う。
失敗してしまう怖さもあるかと思います。例えば、物が壊れてしまう失敗は、作り直せば良いですし、事故や怪我の失敗は、失敗しないように準備をしっかりすれば大丈夫です。
だから、臆せず是非チャレンジしてほしいです。